我孫子に導かれて、魅せられて市民活動

我孫子市つくし野在住の吉澤淳一さん(83歳)は、60歳で定年になるとそれまでの仕事を辞め、社会福祉協議会の運転ボランティアを始めました。それをきっかけとして我孫子市のいくつもの市民活動の立ち上げにかかわり、今も続けています。

我孫子に移るきっかけ

吉澤さんが我孫子に引っ越したのは、およそ45年前。それまでの住まいから転居を考えていた時に、国道16号線を車で走っていて我孫子の分譲住宅の立て看板が目に留まりました。看板に導かれるように現地に行き、その日のうちに仮契約しました。この出会いがなければ、現在ある市民活動団体のいくつかは、我孫子市に生まれなかったかもしれません。

市民活動開始

最初の市民活動は、公共交通機関を利用することが困難な体の不自由な方や、高齢者の通院や社会参加のための移動を支援する運転ボランティアでした。広報で募集を見て応募し、社会福祉協議会で定められた定年の75歳まで続けました。

その傍ら、「ボランティア市民活動相談窓口」でコーディネーターも務め、多くの方のニーズをつないできました。特に印象に残っているのは「コカリナ演奏の活動をしたい」と窓口に見えた女性でした。早速、日立総合経営研修所の庭園公開や市民観桜会で演奏してもらい、好評を博しました。その方の活動は、「我孫子コカリナサークル“あびこ”」として続いています。コカリナは、ハンガリーでは「桜の木のオカリナ」と呼ばれる小ぶりの木の笛です。その音色に心をひかれた演奏家の黒坂黒太郎さんが、コカリナと命名しました。

我孫子の景観を育てる会と三樹会(さんじゅそう)

2000年に我孫子市主催の「景観づくり市民講座」に参加し、講座終了後に受講者の有志21名で「我孫子の景観を育てる会」が発足しました。2003年から16年間会長を務め、現在も会員として参加しています。

会長時代には「我孫子のいろいろ八景」を市に提案し、合計12のコースを市と会の協働で考えました。また、日立総合経営研修所の庭園の魅力を発見し、2002年11月に庭園の一般公開にこぎつけました。さらに2003年3月からは、我孫子ゴルフ倶楽部での市民観桜会も開催するようになりました。吉澤さんの深い我孫子への興味と現役時代の仕事で培われた発想力で始まった事業は、毎年盛況に行われています。

2005年3月には、「我孫子の景観を育てる会」の姉妹会とも言える「三樹会」を仲間と立ち上げました。三樹荘は、柳宗悦と兼子夫人が大正初期に住んだ家です。敷地内には「智・財・寿」の木として人々の尊崇を集めていた3本の椎の木がそびえることから、叔父の嘉納治五郎が三樹荘と命名しました。

三樹会は、当時の当主、村山正八氏との出会いにより始まりました。我孫子の景観を守るために、この庭園を維持することは必要不可欠と感じ、三樹荘の庭内と天神坂の清掃に協力したいと申しいれました。週3回の清掃活動は、現在も続いています。この活動で2017年5月に我孫子市から「さわやかな環境づくり賞」を、2023年11月に(一社)日本善行会から秋季善行表彰を受賞しました。

白樺派のカレー普及会誕生

吉澤さんは、2005年にNPO法人テラスあびこ(現NPO法人テラス21)主催の公園坂通りデザインコンペに応募し、「白樺派のカレーでまちおこし」の企画で白樺文学館賞を受賞しました。応募のきっかけは、当時公園坂通りにあった藪そばで白樺派のカレーが食べられたら面白いと思ったからです。2006年には、「我孫子に文学カレーをつくる会(現白樺派カレー普及会)」が誕生しました。

白樺派のカレーは、食の研究家の石戸孝行氏(現 京北スーパー相談役)が再現しました。石戸さんは、柳兼子夫人が『民藝』に寄せた随筆(1979年8月)に「陶芸家のバーナード・リーチ氏が『カレーに味噌を入れたらおいしくなる』と助言した」とあるのを知り、白樺派のカレー再現を思いつきました。当時のレシピは残っていなかったのでそのころの食事情を調べ、2001年から試行錯誤を重ね、ついに2006年に完成しました。

吉澤さんが白樺派のカレーを広めるにあたっては、石戸さんに挨拶に行きましたが、「我孫子のまちおこしになるなら」と快く賛同いただきました。また志賀直哉も武者小路実篤も兼子夫人のカレーを食べたという記録はありませんでしたが、柳家、志賀家、武者小路家の直系のお孫さんたちにも、市長の添え状を持って挨拶に行きました。完成した白樺派のカレーは、2007年に市民活動フェア(現市民のチカラまつり)で披露され、市民に初めて紹介されました。現在2軒のレストランで提供されているほか、5月には佐倉市でも提供が始まります。またレトルトカレーも全国で販売されています。※3月まで3軒ありましたが休止中で7月に再開予定です。

ボランシカ劇団旗揚

2007年には、我孫子市社会福祉協議会の後押しで劇団を作り、「明日に向かってボランシカ」という出し物を上演しました。「ボランシカ」とは「ボランティア」と「シミンカツドウ」を一緒にした造語で、吉澤さんが考えました。定年後のシニア世代に、ボランティアや市民活動に参加を促すために企画したものです。

シナリオは公募で4~5点の応募があり、縁あって脚本家のジェームス三木氏に選考を依頼しました。ペンネームで応募した吉澤さんの作品が選ばれました。出演者も公募で、ほとんどが定年後の方たちで、演劇の経験がある方はいなかったようです。

公演に先立ち、声優の田中信夫さんに2~3回指導を受けました。田中さんはアメリカのテレビドラマ「コンバット」のサンダース軍曹をはじめ「名探偵コナン」や「ジョジョの奇妙な冒険」などに声の出演をされています。市内の近隣センターなどで10回ほど上演しました。この活動は、地域のシニア世代にボランティアや市民活動が浸透してきたと思えるようになり、また出演者の負担も大きくなってきたので終了しました。

メディアのチカラで我孫子の魅力を発信

吉澤さんの活動は幅広く多岐にわたり、ほかにも「我孫子市道路愛称委員会」、「我孫子の坂道ウォーキングマップ」、「懐かしの映画ポスター展」、「我孫子の文化を守る会」などなど、枚挙にいとまがありません。

起伏に富んだ我孫子の街を楽しみながら、どこへでも自転車で行き、多彩な発想力と行動力で我孫子の魅力を発信し続ける吉澤さん。定年後から現在までを振り返えると、時間の経過と共に我孫子の色々なことが分かってきて、我孫子が益々好きになったと言います。

特に「メディアのチカラ」で我孫子の魅力を発信してもらうことに気を配ってきました。大手広告代理店に長年勤務し、「健全な民主主義はメディアと共に発展していくもの」という考えを現役時代からもっている吉澤さんならではのお考えと感じました。

取材・文/ヨシオ・アキコ

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