まち活マガジン 2020年7月号(No.13)
まち活マガジン 2020年7月号(No.13)
特集 : 市民の手で創る我孫子の文化「我孫子の文化を守る会」
あびこのおいしいみーつけた! : 季節の野菜がふんだんに味わえる農家の台所「旬菜厨房 米舞亭」
我孫子の小さな旅 : 第2回 我孫子の白山地区を歩く
つなぐひと : コロナ禍で市民活動の勢いを盛り上げるには
Contents.
市民の手で創る我孫子の文化
我孫子の文化を守る会
あびこのおいしいみーつけた!
季節の野菜がふんだんに味わえる農家の台所「旬菜厨房 米舞亭」
越岡禮子と行く、我孫子の小さな旅
第2回 我孫子の白山地区を歩く
新たなランドマークを
我孫子に誕生させる。
手賀沼のほとり、天神坂をのぼりつめると
柔道の祖として高名な嘉納治五郎の別荘跡にたどり着く。
この4月、そこに新たなランドマークが建った。
手賀沼を見下ろす治五郎氏の力強い立像だ。
市民の手で建てるという志を、2年強で結実させた。
継続は我孫子の力、そこから文化が生まれる。
市民の手で創る我孫子の文化
我孫子の文化を守る会
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設 立 1980年7月
会 員 80名
会 費 2000円/年間
活動内容 文化講演会・放談クラブ
史跡文学散歩など
お問合せ mss_misaki@yahoo.co.jp
(代表 : 美崎)
今年で発足40周年、記念のために柔道家・教育者である嘉納治五郎氏の銅像を建てた我孫子の文化を守る会。その歴史や活動について、美崎大洋会長からお話しをうかがった。
Q.今年でちょうど40周年と聞きました。
当会は1980年7月に発足しました。私が我孫子に引っ越してきたのはその後になるので、まだその頃は会員ではありませんでしたが。初代会長は兵藤純二さん、二代目が三谷和夫さん、三代目が藤井吉彌さんで、私で四代目になります。
Q.発足のきっかけについてうかがいます。
1979年の志賀直哉邸跡の保存運動に始まります。保存のために有志で1万人の署名を集め、直哉邸は市が買い上げ保存されることになりました。この気運を残そうということで翌年に会が発足し、白樺派の学習や市内の史跡・文学散歩など活動を展開しました。その背景には、当時盛り上がっていた「市民の手で創ろう、我孫子の歴史」運動があり、そこで醸成された我孫子市民の郷土愛があったと聞いています。
Q.会の目的と活動内容を教えてください。
活動の目的は、我孫子の自然・歴史・文化を学び、保存し、伝えることで文化的な発展に寄与することです。自分のまちをもっと詳しく知ろうという趣旨のもと、年3~4回ほど「史跡文学散歩」を行います。木の好きな人が何人かいて、その人達を中心に「我孫子市の巨木・名木を訪ねる会」として、樹木の謂れや歴史を学んでいます。プロジェクトとして、「短歌の会」や「百人一首を楽しむ会」があります。百人一首は我孫子とは直接関係はありませんが、読み手の歴史的背景を学ぶことで文化的な素養を深めることにつながっています。
市との共催で、年1回、我孫子に関することやその年に話題になったテーマで「文化講演会」を行います。銅像建立に関連させて、ここ2年は治五郎氏にちなんだテーマで行いました。「放談くらぶ」は年6回(偶数月)、会員が興味を持つテーマで講師を招き、自由に意見交換する会です。
市民のチカラまつりにも毎年参加し、去年は子どもを対象に体験型の講座「柔道っておもしろい!」や、親子向けに「書いてみよう!『いだてん』のかのうじごろうの書」を行い好評でした。
Q.嘉納治五郎氏の銅像建立のきっかけを教えてください。
私達会員は治五郎氏について知っているけれど、その功績に比べて我孫子ではあまり知られていませんでした。駅周辺の新住民の方など全く知らないでしょうから、銅像が建つことで我孫子と治五郎氏のつながりが説明しやすくなると考えました。
そもそもは3年前、元会長の三谷さんから「会発足40周年、治五郎氏生誕160周年、オリンピックの年でもあるしそこに合わせて銅像を建立しよう」という提案があり始まりました。
建てる場所については、駅前にという案もありましたが、実際に住んだことがあり今は公園になっている別荘跡にということになりました。市長の賛成も得ることができ、総会で提案することになりました。
Q.募金集めではご苦労をされましたか。
当会では2003年に、我孫子駅誘致の功績のあった飯泉喜雄氏の顕彰碑を建てるために寄付を募った経験があります。治五郎氏の知名度から、全国や海外に働きかければなんとかなると考えていたので、不可能とは思いませんでした。
我孫子市民を中心に1口1,000円で募金を開始しましたが、スタート時は思ったほど集まらず、順調とは言えませんでした。チラシを作って方々に配布したり、共通の目的を持つ市内11の市民活動団体に働きかけ、助けてもらうことで軌道にのり、2年かけて目標額を集めることができました。
Q.その他の面でご苦労はありましたか。
苦労はあまり感じませんでした。講道館や筑波大学にあるのと同じ立像にすることに決め、教育委員会には、銅像の原型を保有・管理している朝倉彫塑館との折衝などでお世話になりました。鋳造を岡宮美術という会社に依頼し、銘板のデータ作成でもお世話になるなど、社長と知り合いになったことが大きな励ましになりました。ふり返ると、偶然に多くのいい人にめぐり遭い、順調に進めることができたと思います。
Q.治五郎氏の功績はたくさんありますが、ぜひ知ってほしいのはどのような点でしょうか。
教育者としての功績は計り知れず、東京高等師範学校(東京教育大学、現在の筑波大学)、旧制第五高等中学校(現・熊本大学)校長などを務めました。柔道の精神として唱えた「精力善用」「自他共栄」を校是とした旧制灘中学校(現・灘中学校・高等学校)の設立にも関わりました。日本が近代国家建設を目指す明治初期にあって、国際スポーツの普及や国民体育の向上に尽力し、多くの若者を近代人として育てました。また、日本初の国際オリンピック委員としても活躍する真の国際人でもありました。
治五郎氏が我孫子に住んだことがきっかけで、甥の柳宗悦が来て、柳が志賀直哉や武者小路実篤を呼んだことから白樺派のコロニーができた。そういう意味で、我孫子にとって“大事な人”といえます。市民の誇りとして永く歴史にとどめ後世に伝えたいと思い、銅像を建立しました。
Q.今後の活動についてお聞かせください。
創立から10年毎に記念誌を作っていますので、銅像建立の経緯も掲載して40周年記念誌を年度内に作りたいと思います。また、銅像を建てればそれで終ったわけではなく、維持費もかかるし、清掃作業もあります。清掃については、小学生に教育の一環として担ってもらうという案があり、協力を期待しています。
会の発展を考えた時に、我孫子市民の持つ「いたずらに行政に頼らない自立心」「文化都市・我孫子に対する郷土愛」をどのようにしたら若い人に伝えることができるのか。今後の活動課題として考えたいと思います。
文化とは生活様式や価値観であるが、目に見えにくく、説明するのもむずかしい。そういうものを、どのように守るのか。美崎会長のお話から嘉納治五郎氏の存在を我孫子の文化として守るということは、その思想・精神を会員が深く学んで、その核にある価値観を捉え、わかりやすい言葉で人に伝え、広める活動であることが理解できた。文化の本質を発見する学びを40年間も継続してきたことに、我孫子の市民活動の深みと重みを感じさせられた。
季節の野菜がふんだんに味わえる農家の台所
「旬菜厨房 米舞亭」
手賀沼を臨む景観を求めて人々が集う水の館。1階にある「旬菜厨房米舞亭」が、今年4月7日にリニューアルオープンした。店内は、白、グリーン、オレンジの3色を基調に一新し、気軽に利用できる雰囲気。天気の良い日はテラス席も人気がある。新メニューは、地元野菜をトッピングした米舞カレーや海鮮フライ定食、油淋鶏定食、ハッシュドポークのほか、野菜たっぷりのかき揚げそばやうどんなど、バラエティに富んでいる。いずれのメニューにも「農産物直売所あびこんの併設店であるメリットを生かしながら、我孫子産の旬の野菜をお客さまにふんだんに召し上がっていただきたい」という(株)あびベジの大炊(おおい)三枝子代表取締役の心意気が込められている。大炊代表は、野菜の特徴や生かし方を熟知する元農業者でもある。厨房は農家の台所さながらに、新鮮な野菜で溢れている。
■「旬菜厨房 米舞亭」
我孫子市高野山新田193
手賀沼親水広場・水の館1階
Tel. 04-7168-0504
営業時間:11:00 ~ 15:00
定休日:毎月第4水曜日
年末年始
※メニュー・営業時間は
2020年6月初旬現在のものです。
食べるライター 片岡綾
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おいしいものを探して自転車で街を駆け巡る
日々の中、我孫子の食の豊かさに開眼。「食べ
るために生きる」がモットーの40代一児の母。
第2回 我孫子の白山地区を歩く
我孫子駅南口、成田街道沿いにある興陽寺は我孫子宿の古で曹洞宗の寺です。相馬霊場59番札所があり、境内には釈迦の説話に登場する弟子群像や本陣小熊家墓所などがあります。昭和17年2月、この寺を訪れた俳人の石田波郷は、当時この寺にあった九年母を詠んだ句や、雪の玲瓏とした手賀沼を随筆「我孫子」に紹介しています。
寺の脇の道は手賀沼に下る坂につながり、その右手一帯は明治末期に柔道の祖、嘉納治五郎が購入した2万坪の土地で、大正期に嘉納後楽農園となり、嘉納没後は住宅地に変わりました。現地に詳しい解説板があります。
坂を下る辺りに一本の大桜があり、その元に近年まで、寺山修司の元妻で女優の九条映子の実家がありました。寺山は歌人、劇作家として知られ、随筆「映子をみつめる」の中に、映子には美しい沼のある故郷があると、愛妻を慈しむ気持溢れる一文があります。
すぐ左の小道を行くと、沼を眼下に望める住宅地の中に、昭和5年から約2年間、岡田嘉子が開設した「大衆キネマ撮影所」がありました。「東京行進曲」「君恋し」等のトーキー映画が制作されました。また同じ台地に、言語学者の上田万年が購入した別荘地を相続したのが上田の次女で、文化勲章受賞作家の円地文子です。円地は幼い頃、初めて晩春の手賀沼を訪れた時の感動を、私小説『土地の行方』に記しています。
近くの公園坂通りに出て、風情のある天神坂を登れば柳宗悦旧居の三樹荘。隣接する公園に今年4月に建立された嘉納像があります。
COVID-19感染拡大予防のため、3月末から6月末までまる3ヶ月休館となり、市民活動も休止状態になった。竹林整備や市民後見人の団体は、健康を心配しつつ迷いながらも続けていると聞き、その責任感に頭の下がる思いがした。私達コーディネーターも「市民のチカラまつり」を中止にせず、この状況で出来る方法を探り、分断されそうな関係をつなぎ直し、市民活動の勢いを盛り上げる契機にできたらと思う。(高橋由紀)
まち活マガジン あびこ市民活動ステーション情報紙 No.13 発行日:2020年7月1日/発行元:あびこ市民活動ステーション 【指定管理者:(株)東京ドームファシリティーズ】 デザイン・レイアウト/人を通して障害を識るフリーペーパー「gente」編集長 大澤元貴 |
このページは、「まち活マガジン2020年7月号」を、ホームページ用にリメイクして載せたものです。
印刷版の画像は、以下からご覧いただけます。